算命学には、天中殺と呼ばれる、運気を見る代表的な技法があります。
この天中殺には、大きく分けると年や月や日で回ってくる通常の天中殺。
宿命に備わっている宿命天中殺。
それから、運気の大きな流れの中で現れる大運天中殺。
この3つに分類できます。
今回は、大運天中殺について詳しく解説していきます。
大運天中殺は20年間つづく!
まず算命学の宿命を出す時に、運勢を主に見ることができる陰占と性格を主に見ることができる陽占を算出します。
実はさらにプラスして、運勢の大きな流れを見ていく「大運」も用意して鑑定を行っています。
大運は、10年周期の大きな運気の流れを読み解いていくことができ、後天運は1年周期の年運とこの大運を合わせながら判断していきます。
通常の天中殺は12年に2年間だけ訪れますが、大運天中殺では120年に20年もの間、天中殺時期になってしまいます。
120年の間の20年なので、一生の間に訪れない人もいますし、大運天中殺に入る時期によっては、ほとんど影響を及ぼさない場合もあるでしょう。
天中殺を知っている人なら、「20年も天中殺なんてやってられない!」と嘆きたくなると思いますが、安心してください。
大運天中殺は通常の天中殺とは別物と考えても良いくらい、現象も過ごし方も全然違います。
大運天中殺の時期は、自分の本来ある運勢以上に大きく飛躍することがあり、大運天中殺によって大きな成功をつかむ可能性をもった時期なのです。
大運天中殺に入った最初の5年間が勝負の時期!
大運天中殺は必ず飛躍するとは限らず、鳴かず飛ばずの運勢になることもあります。
飛躍するためには、「ある条件」が必要になります。
その条件は、大運天中殺に入る直前が満たされない「無の状態」で、入って5年の間に大きなチャレンジをできるか、です。
例えば、大運天中殺に入る前は収入的には満たされていなくて、貯金もほとんどない状態で、天中殺に入って5年の間に独立した。
みたいな場合は、その後実力以上に飛躍する可能性は高くなります。
大運天中殺を生かして成功した人として有名なのが、小室哲哉さんです。
見ての通り、23歳~43歳までの大運が天中殺に入っています。
小室哲哉さんはソロ活動の前に、TMネットワークというユニットでヒット曲を次々と生み出し、有名になっています。
そのTMネットワークがデビューしたのが1984年、小室哲哉さんが26歳の時です。
大運天中殺に入ってから5年の間にチャレンジするという条件を見事にクリアしています。
その後は、小室ファミリーという言葉ができるぐらいの小室ブームが到来し、音楽業界で大旋風を巻き起こしました。
算命学的に見れば、これはまさに大運天中殺の影響を受けての飛躍と見ることができ、小室哲哉さんは千載一遇の運気の波に乗ったと言えます。
大運天中殺の終わり5年からが注意の時期!
大運天中殺で飛躍したらからといって、一生その状態が続くわけではありません。
どんな人にも人生の波があるように、どこかで失速の時期がやってきます。
大運天中殺の人の場合は、大運天中殺が終わる最後の5年あたりから下降の時期に入ります。
そのため、大運天中殺の終わりが近づいてきたら、意図的に広げていた風呂敷を畳むことを考える必要があります。
少なくとも、拡大路線を続けてしまうのは危険です。
例えば、小室哲哉さんの場合は、2001年に43歳を迎え、ここで大運天中殺が終わります。
実際も1998年頃からCDの売上は落ち、小室ブームが終息し始めていました。
しかし、2001年に小室哲哉さんが株式の大半をもっていた会社が香港に上場するなど、まだまだ積極的に大きな前進を続けていました。
これらは大運天中殺的に見れば、ふさわしい行動とはいえず、運勢から反した危険なチャレンジと見ることができます。
その後の小室哲哉さんは、みなさんもご存知だとは思いますが、成功も含めて運勢通りに生きた強運の持ち主だと感じます。
大運天中殺の開運条件は他にもありますが、まずはスタートの条件がポイントになるので、大運天中殺が回ってくる人は、ぜひ心がけてみてください。
年運の天中殺もそうですが、決して怖いものではなく、過ごし方次第で飛躍する年に変わることがあります。
天中殺をよく理解して、上手に活用しましょう。